私の業界、講習会の案内が多いです。
とあるコミュニティーの書き込みもセミナーの案内が多いです。
お金を払う『お客さん』の立場で気楽に参加すればお客さんですから楽しいわけです(^^ゞ。

ただ、もしあなたが、実際にそのスキルで一人立ちしていきたいのならば、お客さんとしての参加はあくまでも娯楽的なもので、そこがスタート。
そのあとにある自分との試練が本番と思った方がよいかと思っています。
これは講習会を開催する立場(お客さんじゃないから大変〜)としての発言です。

現場は、講習会で紹介される患者さんはあまり来ません。というか来ない。忘れた頃にやってくる。
それまでデーターをいかにストックしておくかになります。
必要な時に取り出せるように。

同じ腰痛でも講習会の症例は参考にはなるのですが、まずは使えません。
役立たないという意味ではなく役立つには熟成が必要なのです。
ビギナーの頃は、ビギナーズラック以外は手探りの状態が続きます。

この状態が長く続きます。
試行錯誤しつつ、共通項を求めて、その人の環境と問題点をあぶり出して効果的な方法を求めていきます。
習ったことをボタンを押せばすぐに使えるというわけではないのです。

ある講習会出たときに、自己紹介を求められ、『どうしてこの講習会に参加したの?』と聞かれてつい正直に『そんなに効く効くというのならば見てみたいと思って』という思いっきり上から目線!的な発言をしてしまい大顰蹙。とほほ。
でも、そうじゃないんだよなー本当に見てみたいという気持ちが強かったのだ。

セミナーや講習会参加は、『よりよい治療法を学んで鍼灸のスキルをあげたい』というのは第一だしあたりまえでしょう。
私だってその気持ちもあります。
でも、その前に、私の場合は『見てみたい』は大きい。
また講習会は所詮講習会だという思いもありますしね。

実は鍼灸学校に入った動機も同じ。
それまで長らくの腰痛持ちで、あれこれの西洋医学や民間療法を試し、『サービス提供者がいうほど効かない』というのが私の中の結論で、それだったら、身体ってどうなっているのか『知りたい』と思って、近所にあった自転車で行ける鍼灸学校に入ったのでした。

鍼灸学校は私に大きなきっかけをあたえてくれました。
学校を卒業しても、『鍼灸』そのものをやれるとか、どうのかできるとは思わなかったのですが、『人間の身体の基礎知識』は充分得られました。それが種まき。
そのあとの育成は弟子入りと大学病院での3年の日々がつちかってくれました。

さて、この見たい、知りたいは実際の自分の臨床をするようになって、患者さんそのものを見たい、知りたいになり、沢山の臨床をこなしたり、物語性のある弁証論治を書くということにつながっていきました。

ジブンの臨床と書き物の穴掘りウサギ。

鍼灸臨床はやっぱり楽しいし面白いし、自分のベースではあります。
でも、今までのように数をガンガン見て、息を詰めてつま先立つようにやっていかなくてもいいんじゃねって思うんだよね。

この数見ることからも沢山のことをしったし、見た。それはそれで有難いことです。
ただ、もっと自由に、臨床だってゆっくり話を伺いながらやっていきたいと強く思うようになってきました。

諸般の縛りを捨てて、自由に知りたい、見たい、学びたい、寄り添いたいとふつふつ思うのよね。

勉強って最高の娯楽、楽しんでいいんだなって思えてきました。